本質に迫るー甲賀吉郎

社会や経済の事象を一歩掘り下げて考えるブログ

東芝の米国原子力PJTにみる失敗の本質ー三菱重工客船PJTとの類似

東芝が米国の原子力事業での1兆円規模の巨額損失で、会社の実質解体状態になってから暫くたった。様々な論評が既に出ているが、経営判断や企業体質等の指摘が多く有益であるが、ここではメーカーにおけるものづくり事業の失敗という視点から考えてみたい。そもそも米国での4基の原発が予定通り稼働できていれば問題は無かったのであるから。

 

原子力プラント建設のような大型設計建設PJTでは、一品受注産業では避けえない設計変更や建造トラブルを、ボヤにあたる段階で消火し工事を継続する力が必要である。
最も大事なことは、PJT受注前に仕事の内容と自分の体力をおおよそ把握して、現状でまたは対策をうてば実施可能かどうかを見極めることである。これを誤ると、ボヤが限界を超え山火事となってしまい、人や機材の追加投入でも消化困難となり、大きな損失を出す。場合によっては、受注金額の数倍に及ぶ巨額の損失となることがある。

 

東芝の米国原子力事業の主体であるWHでは、米国内の原子炉製造技能レベルの低下と工事管理者キーマンの不足を、受注時に軽くみたのが致命傷と思われる。もしかしたら、設計変更がゼロという前提で計画していたのではないかと疑いたくもなる。また、米国PJTだけでも危険なレベルと思われるが、まして中国PJTとの並行建造では、特にPJT管理者キーマンの不足が深刻で、もともと実施無理なのではなかったか。

 

東芝の問題は現在進行形で、公開資料が無いので、報道や論評からの推測になるが、長工期/多人数の一品受注PJTでの最近の失敗例として、三菱重工の客船PJTがある。この客船PJTの失敗については、幸い三菱重工が公開資料(”客船事業評価委員会報告”2016年10月18日)を出しているので、東芝の事例との比較をして、東芝WHの失敗の検討の補完としたい。実際、よく似たところが多い。

 

  共通項 東芝/WHの米国原子力PJT 三菱重工の客船PJT
 情報の出典   日本での諸報道の情報から筆者推測 ”客船事業評価委員会報告” 2016年10月18日/三菱重工 の情報から(除くPJT現状)
受注金額   2兆円/4基 1000億円/2隻
推定コスト   3兆円以上 3500億円
コスト/受注金額 数倍 1.5倍以上 3.5倍
予定工期(初号機)   5年 2年 (ドック着工から)
実際工期   8年以上 3年
実際工期/予定工期 1.5倍以上 1.6倍以上 1.5倍
設計技術力 有り PWRの開発元 日本唯一の大型客船ヤード
設計建造実績 暫く無かった 30年間なし 12年前に同規模の大型客船建造実績あり
今回のPJT 新型 新型炉(AP1000) プロトタイプ(世界での一番船)
事業主体   WH 担当事業部門(船舶部門)
受注時の致命的ミス 有り 受注時の建造体制評価不足。新工法導入等したが、30年間実績なしの人材不足を過小評価。 受注時のコンセプト設計・客先調整のプロセスの過小評価、12年前の準一番船の実績によりかかりプロトタイプ船の検証不足。
全社的挽回策 上手くいかず 東芝本体からの助力はほとんでできないまま、現在に至る。(東芝本体に原子力技術者多数なるも、BWRで日本国内建造のみ。WHのPWRかつ海外建造では提言できずか) 着工から比較的早い段階で、他部門のプロジェクト管理者主導に変えたが、損失は止まらず。
PJTの現状(2017年5月9日)   東芝本体の会計の防衛で手一杯。PJTの工事予定は不明。 (WHについ米連邦破産法11条を申請し(3月末)、民事再生を目指している。電力会社は工事完成を望んでいる。) PJT完工。損失打ち止め。 (1番船は、1年前に完工し欧州でクルーズ就航中。2番船は、先日完工し、欧州へ出航した。)

 

表に記したように、コストが数倍になり、後期が5割増しになってしまった。主たる原因は受注時の、東芝/WHは自分の生産施工能力把握ミス、三菱は仕事の内容把握ミスである。いずれも、実績十分の会社であるが、前の建造実績から10年以上の月日が経過している。尚、東芝GはWHへ手を差し伸べられなかったし、三菱は全社的にPJT管理者を投入したが、挽回成果があがらなかった。


東芝/WHも三菱重工も陥りやすい落とし穴にはまった感じであるが、大型PJTを生業とするメーカーは日頃から次のような準備をしておく必要があろう。1-3は、ゴルフに例えたつもりである。

1 自分の体力と技量を常に知っておく
自らの設計対応力、製造/建設管理力、製造建設技術者技量を、常に把握しておくこと。

特に変更やトラブル時の総合力(知力/体力/経験)という観点で。

 

2 次のコースの難易度やハザードの特性を把握する
受注前の計画初期に既知のリスクは全部検証して洗い出し、できる対策は打っておく。トレーニングして体幹を鍛える、ワクチンのあるものはうつとかである。


3 風、雷などの未知のリスクに対応できる全体俯瞰力を日常鍛える
予想できない客先要求や突然の規則変更などに慌てずに対応できる力がいるが、普段から自分の事業の肝(経営観点での特徴、CQDに関するクリティカルポイント)を他の事業との比較形で営業や事務部門含め事業関係者が把握しておき、問題のポイント発見を誤らない全体俯瞰力を養う必要がある。技術だけ、客先対応だけ、PJT管理だけの集合体では、未知のトラブル発生時に気づかない、対応できないあるいは対応に失敗し、混乱を拡大する。

 

大型PJTを生業とするメーカーの事業関係者は、普段の不断の心構え(自分と仕事を知る、常に全体俯瞰の視点を忘れない)が肝要である。事業関係者全員が自分の事業の肝及び自社の他分野の事業の肝も知っていることが総合力の根幹である。

高齢ドライバーは本当に危険なのか?

最近、テレビ各局で高齢ドライバーの交通事故に関する報道が連日取り上げられているが、情緒的で世論誘導的な画一性が感じられたので、ちょっと数字を検証してみた。尚、適正な免許返上の促進には賛成の立場であるが、総論としての妥当性を論じるものである。


1-2週間くらい前からの報道の元になったのは、都内の交通事故件数の推移に関するデータであった。
交通事故総件数が、ここ10年で半分になっているにもかかわらず、65歳以上の高齢ドライバーが関与した割合は実に2倍になっている。このデータをもとに、事故を起こしやすい高齢ドライバーへの対策が早急な課題だと結論づけている。

 

これらの報道の数値データは、下記となるが、警視庁交通総務課の統計データと思われる。
               総件数    高齢ドライバー 
           事故関与割合 
2005年 80,633件 10.5%    
2014年 37,184件 20.4%       


本当に高齢ドライバーが運転の荒い若手に比べて事故を起こしやすいのだろうか? 可能な範囲で大胆に検証してみたい。
東京都を走行している自動車のドライバーの年齢別割合が欲しいところが、それは無理なので、警察庁交通局運転免許課の統計から、原付以上の運転免許統計を拾うこととする。以下高齢者は、65歳以上と定義。

全国では、
              免許総数  内高齢者数 高齢者割合
2005年 78,798,821     9,765,000   12.4%
2014年 82,076,223 16,389,000   20.0%
高齢ドライバーの割合が、ここ10年で倍近く増加していることがわかる。

東京都の統計は、最近のものしかないので、
2014年  7,717,150      1,099,203    14.2% 
である。東京は全国平均より免許証保有者は若いことがわかる。

都市部では、若手のペーパードライバー化が相当進行しており、実ドライバーでは高齢者が多いことと、東京では他府県籍の運転免許証ドライバーも多いことを考慮して、
2014年の東京都走行ドライバーの高齢者率を、全国と東京の免許保有率の2/3だけ全国よりとすると、18.0%になる。2005年は、全国の免許保有率データの比率と同じとしえ、18% * 12.4/20 = 11.1% となる。

 

              総件数  高齢ドライバー 高齢ドライバー 高齢ドライバー 高齢危険率(A/B)
        事故関与割合   事故件数   比率     
                                     A                                           B                       A/B                        
2005年 80,633件 10.5%   8,466件       11.1%                     0.95
2014年 37,184件 20.4%           7,586件          18.0%                    1.13

となる。
(1)警視庁統計実数でも、高齢ドライバーが関与した交通事故は、高齢ドライバー数増加にかかわらず、ここ10年で絶対件数は減少している。
(2)ここ10年で高齢ドライバー比率が大きく増大しているので、事故件数に占める高齢割合Aは当然増大している。
(3)これを考慮した65歳以上の高齢ドライバーの64歳以下の平均に対する危険率A/Bは、2005年は0.95で高齢者の方が64歳以下の平均より安全だったが、2014年では13%ほど高齢者が高い。

ちなみに、年齢別の危険率に直結する自動車保険データ(自動車保険相場NAVIから)では、最も安全な壮年運転者26-59歳の保険料を1.0とすると、
20歳以下  1.65
21-25歳    1.33
26-59歳    1.00
60-64歳    1.14
65歳以上       1.19

ここでも、65歳以上の危険率は、壮年運転者の19%増しであるので、上記の大胆な推測データはそこそこ妥当と考えられる。10年前は、若手の危険率が高い影響で64歳以下平均よりも高齢者は安全だったが、最近は高齢者が増えたので、さすがに64歳以下平均よりは危険になったと考えられる。

高齢ドライバーは、壮年ドライバーよりも1-2割危険だが、運転の粗い若手ドライバーよりは安全である、というのが総論評価になろう。こちらのほうが総論では実感にあっている。

個々の事例では、高齢者は、大幅なスピード超過やあおり運転やぎりぎりの車線変更や無理な追い抜きなどのよく知られた危険行為はほとんどないが、逆走や信号見落としなどの、これまではあまり知られてなかった事例が驚きをもって報道されるので、ニュースとして目立っていると思われる。


次に、なぜ高齢ドライバー危険キャンペーンが時々行われるているかを考えると、当局にとって、現状の環境で最も簡単な交通事故件数減対策が、増加した高齢ドライバーの運転機会を減少させることであるからと、政府レベルの法制整備の観点で、運転不可能なレベルの認知症ドライバーの免許停止実施には、生存のために運転が必要な弱者対策の世論に抗する世論づくりが必要であるからと思われる。実際、後者の法制化が、現在進行中である。

これはこれで理解できるが、メディア側の冷静な補完がほどんどできていないので、将来の社会インフラ整備の議論がされていないのが残念である。

要点をあげると、
・現在の自動車システムは、優れた移動、運搬システムで、人間の生活に不可欠なものとなっている。
・ハンディの方(車椅子の方)も、自動車の手動運転で救われるようになってきた。
・さらに進めて、視力や色認知の不具合なども、救える自動車システムになっていくべきである。
・動体視力レベル、手足の反応レベル、判断スピードなどは、全般に高齢化で衰えるが、一律ではなく個体差もかなり大きい。全運転者の免許更新時に、シミュレーターチェックして、数値化すべき。これが適正な免許返上につながる。
・運転する場面の経験蓄積による周囲の状況変化予測なども重要な要素。シェアエコノミーで必要な時だけ慣れない車を借りて運転する社会では、ドライバーのレベルが次第に下がるのでシステムとしての補完が必要になってくる。


最終的には、完全自動運転の"きんとんうん"システムが目標であろうが、
その前の、半自動運転レベルでも、自動車、自転車、道路、歩道、信号、歩行者、車椅子、低速モビリティ等で、IoTとAIでよりよい自動車社会システムが構築可能なはずである。そのための議論をメディアは世論喚起すべきだろう。社会の生産性が飛躍的にあがる可能性もある。メディアの建設的な活動に期待したい。

築地移転問題に観客席はない

 8月31日に築地市場の移転延期を小池都知事が表明したが、いよいよ都政運営の正念場を迎えることになろう。延期問題にからみ、ここ1-2週間で移転騒動の内容が報道を通じ少しずつ明らかになってきた。

(9月10日以降に判明した盛り土が建物下部で実施されていなかった問題の前に、土壌汚染対策確認以外にも下記の問題点が指摘されており、ここでは下記を対象として考察している。

1 移転反対と賛成の論点整理と議論が不十分ではなかったか(長期的に市場関係者等が満足できる方向にもっていった流れではなさそう。できれば現状のままがいいというどこにでもある反対論に対して右往左往した結果の妥協の産物としての豊洲移転に見える)

2 各業者に割り当てられる単位区画が狭小であったり、床の許容荷重が少なかったりして、現在より作業性や水槽設備が悪くなる方向で建物設計が行われた事実。

3 平屋式から2階3階式になったことで生じる斜路やエレベータの物流ネックやトラックの積み下ろしの実態反映不足など、現在よりも市場内物流効率の悪化が懸念される。物流シミュレーションが行われていないか少なくともかなり不十分であった可能性がある。市場の基本設計が不十分なまま建物建設に走ったのではないか。)

 

全体を通じてみると、基地移転問題などよりも達成容易な問題にもかかわらず、築地市場の再構築も流れ豊洲市場への移転PJTも内容がプアで、かなり恥ずかしい部類の経緯であることがわかった。その原因はずばり、日本の組織や我々日本人個人に共通するプロデュース力の欠如と考える。

(プロデュース力は和製英語であるが、リーダーシップ欠如とかプロジェクトマネージャー不在とかの表現には無いニュアンスを表現できそうなので、ここではあえて使用させて頂く。各リーダー個人または各組織が、目的を共有しその達成へ本気になり問題解決や調整を行える力のことである。)

 

 プロデュース力の欠如の最近の事例では、2020東京五輪の新国立競技場の迷走およびバスケットボールリーグの分裂と急速解決が想起される。

 

 築地の問題は、東京圏の食の供給物流の観点でビジョンがあって、それに向けて利害関係者の調整を高い次元ではかる必要がある問題である。しかし、どうやらビジョンがないまま関係者の利害調整が行われ、豊洲新市場の設計も利便性の高い市場にすることを第一目的としてあるゆる努力がされるべきであったが、普通の箱物建築の仕事として設計されてしまったように見える。

 ビジョン設定(目的の明確化と共有)が不十分で各個人の所掌を超えた発想力が欠如していることは、新国立競技場が最初はデザインと建設を分離したため費用と期間の制約が守れなくなったことや、例の聖火台問題と共通である。

 

 バスケットボール関係者が、長年2リーグ分裂の調整ができず、国際バスケットボール連盟からの最後通牒を受ける事態となったのも、築地の迷走と同根である。川淵さんを招くことによりビジネスビジョンの設定と達成アイデアの提案というプロデュースで、ぎりぎりのタイミングで、わずか数カ月でリーグ統一とバスケ強化に進みだした。

 

 日本は傑出したリーダーが育ちにくい社会であるが、これまでは組織の中のキーマン何人かがビジョンを共有して補いあうことで組織としてプロデュース力を発揮することが結構あった。組織の中の一部署の個人でいても組織全体のビジョンを日々考え、他部署との共栄の具体策を捻出する力があったということである。

 現在は、この力が薄れて、個人は個人の範囲で組織を渡り泳ぐだけになり、損なことは避けるというキーマンが増加しているようだ。こうして、日本の組織のプロデュース力は弱体化して、結局日本人が自分で自分を痛めることになっている構図がうかがえる。

 築地移転騒動に観客席は無い。迷走の本質をよく見て、自分の糧とすべきである。

消費税増税再延期の数字的不可解

 2017年に予定されていた消費税の8%から10%への増税が再度延期された。増税で消費者が買い控え景気が落ち込む懸念が一つの理由だが、本当にそうなのだろうか?

 そこで、これまでの消費税の増税インパクトを数字で表現してみた。

 消費税額のup率で、過去3回の増税と比較すると、下記のようになる。
1989年 0から3%       無限大
1997年 3%から5%    67%up
2014年 5%から8%    60%up
2017年 8%から10%  25%up  延期!!

 次に消費税込みの価格の試算を比較してみる。その時点で230円だったものが、その時の消費税upでいくらになったかという前提で試算。(少数第二位から四捨五入)
1989年 0から3%        230円-> 237円
1997年 3%から5%     230円-> 235円
2014年 5%から8%     230円-> 237円
2017年 8%から10%   230円-> 234円  延期!!


 消費税のup率では、8%から10%のupは、過去に比較すると大幅に軽微である。
また、増税後の価格試算でも、5%から8%の時に比べると、相当に緩い印象である。
しかも多くの人が今回の増税を織り込んでいた。

   従って、予定どおり8%から10%に増税したとき、買控える行動をとる消費者は、これまでの増税よりもかなり少ないだろうと推察できる。今回の消費税増税は再延期すべきではなかった。

   今回の増税延期は、幻影に怯えた不可解な決定であると歴史的に評価される可能性があり、残念なことである。比較的公平な租税である消費税の優位性を協調した選挙戦でも今回は十分戦えたのではないだろうか。

 

舛添さんが見せてくれたこと

6月15日に、舛添要一都知事の21日付け辞職が決まった。
当然だという気分が支配的だが、本当にそうなのかを含めて、舛添さんの騒ぎが見せてくれたことを整理したい。

1 舛添さんの資質から
(1)話したり書いたりの公的な論理世界と自分の実際の行動世界をそれぞれ独立して持つことができる人で、今回世論誘導に失敗して辞職となるまで、それが表に出なかった。
(2)ルール上OKであれば公私混同や倫理逸脱も問題にならないという徹底した考えを持つ人であった。

 こう書いてみると、両方とも我々にもある資質だとわかる。前者は、建前と本音とか、芸名やデジタル人格と本人とかである。後者は、接待費の有効利用や最近ではタックスヘイブンとかである。

 舛添さんは、これらについてブレなく徹底して実践していた所がユニークであっただけのことだ。


2 辞任になった経緯から
 考えられない酷い人であると世論がつるし上げに走ったので、火の粉がかかるのを恐れた都議会や国政政党が辞任を引き出して、騒ぎの拡大を収めたのが、経緯に見える。人格的に不誠実だから知事失格という意見はあっていいが、それが主たる理由に辞職を迫るというのでは、民主主義国家の手続きとしてはおよそ不可解である。

 都議会および背景の国政政党が私利党利優先の対応に終始して、議会や政党として為すべき筋を充分通していないのではないか。また筋を通さないことへの世論の批判も決して強力ではない。


3 今後考えるべきこと
 1,2から我々の社会が大変弱体であることがわかる。下記を今後考えるべき。真剣に議論されたことはあまりなく、自分も今回のことで認識をあらたにした。
(1)当然果たすべき義務を実践した方が、個人の利益上も有利になるような仕組みをもっと考案する。
(2)世論誘導にたけていればもう済んでいただろうことを考えると、今の民主主義社会には不完全さがある。不幸な独裁者が出ないようにする知恵がいる。
(3)衆愚社会にならない方法を考える。個人レベルがあがれば、議員のレベルがあがり、全体のレベルもあがる。

 例えば、地方議員、地方自治体首長の為すべき仕事の明文化と一般社会への周知は(1)(2)の議論をすると、role(役割)の明確化と周知および評価として出てくるはず。
日本の組織は、roleの曖昧化と責任分散の結果の評価不能による自己弱体化のサイクルを脱却しないと、五輪スタジアム迷走に見られるように、本来できることもできなくなる。