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本質に迫るー甲賀吉郎

社会や経済の事象を一歩掘り下げて考えるブログ

舛添さんが見せてくれたこと

6月15日に、舛添要一都知事の21日付け辞職が決まった。
当然だという気分が支配的だが、本当にそうなのかを含めて、舛添さんの騒ぎが見せてくれたことを整理したい。

1 舛添さんの資質から
(1)話したり書いたりの公的な論理世界と自分の実際の行動世界をそれぞれ独立して持つことができる人で、今回世論誘導に失敗して辞職となるまで、それが表に出なかった。
(2)ルール上OKであれば公私混同や倫理逸脱も問題にならないという徹底した考えを持つ人であった。

 こう書いてみると、両方とも我々にもある資質だとわかる。前者は、建前と本音とか、芸名やデジタル人格と本人とかである。後者は、接待費の有効利用や最近ではタックスヘイブンとかである。

 舛添さんは、これらについてブレなく徹底して実践していた所がユニークであっただけのことだ。


2 辞任になった経緯から
 考えられない酷い人であると世論がつるし上げに走ったので、火の粉がかかるのを恐れた都議会や国政政党が辞任を引き出して、騒ぎの拡大を収めたのが、経緯に見える。人格的に不誠実だから知事失格という意見はあっていいが、それが主たる理由に辞職を迫るというのでは、民主主義国家の手続きとしてはおよそ不可解である。

 都議会および背景の国政政党が私利党利優先の対応に終始して、議会や政党として為すべき筋を充分通していないのではないか。また筋を通さないことへの世論の批判も決して強力ではない。


3 今後考えるべきこと
 1,2から我々の社会が大変弱体であることがわかる。下記を今後考えるべき。真剣に議論されたことはあまりなく、自分も今回のことで認識をあらたにした。
(1)当然果たすべき義務を実践した方が、個人の利益上も有利になるような仕組みをもっと考案する。
(2)世論誘導にたけていればもう済んでいただろうことを考えると、今の民主主義社会には不完全さがある。不幸な独裁者が出ないようにする知恵がいる。
(3)衆愚社会にならない方法を考える。個人レベルがあがれば、議員のレベルがあがり、全体のレベルもあがる。

 例えば、地方議員、地方自治体首長の為すべき仕事の明文化と一般社会への周知は(1)(2)の議論をすると、role(役割)の明確化と周知および評価として出てくるはず。
日本の組織は、roleの曖昧化と責任分散の結果の評価不能による自己弱体化のサイクルを脱却しないと、五輪スタジアム迷走に見られるように、本来できることもできなくなる。