本質に迫るー甲賀吉郎

社会や経済の事象を一歩掘り下げて考えるブログ

築地移転問題に観客席はない

 8月31日に築地市場の移転延期を小池都知事が表明したが、いよいよ都政運営の正念場を迎えることになろう。延期問題にからみ、ここ1-2週間で移転騒動の内容が報道を通じ少しずつ明らかになってきた。

(9月10日以降に判明した盛り土が建物下部で実施されていなかった問題の前に、土壌汚染対策確認以外にも下記の問題点が指摘されており、ここでは下記を対象として考察している。

1 移転反対と賛成の論点整理と議論が不十分ではなかったか(長期的に市場関係者等が満足できる方向にもっていった流れではなさそう。できれば現状のままがいいというどこにでもある反対論に対して右往左往した結果の妥協の産物としての豊洲移転に見える)

2 各業者に割り当てられる単位区画が狭小であったり、床の許容荷重が少なかったりして、現在より作業性や水槽設備が悪くなる方向で建物設計が行われた事実。

3 平屋式から2階3階式になったことで生じる斜路やエレベータの物流ネックやトラックの積み下ろしの実態反映不足など、現在よりも市場内物流効率の悪化が懸念される。物流シミュレーションが行われていないか少なくともかなり不十分であった可能性がある。市場の基本設計が不十分なまま建物建設に走ったのではないか。)

 

全体を通じてみると、基地移転問題などよりも達成容易な問題にもかかわらず、築地市場の再構築も流れ豊洲市場への移転PJTも内容がプアで、かなり恥ずかしい部類の経緯であることがわかった。その原因はずばり、日本の組織や我々日本人個人に共通するプロデュース力の欠如と考える。

(プロデュース力は和製英語であるが、リーダーシップ欠如とかプロジェクトマネージャー不在とかの表現には無いニュアンスを表現できそうなので、ここではあえて使用させて頂く。各リーダー個人または各組織が、目的を共有しその達成へ本気になり問題解決や調整を行える力のことである。)

 

 プロデュース力の欠如の最近の事例では、2020東京五輪の新国立競技場の迷走およびバスケットボールリーグの分裂と急速解決が想起される。

 

 築地の問題は、東京圏の食の供給物流の観点でビジョンがあって、それに向けて利害関係者の調整を高い次元ではかる必要がある問題である。しかし、どうやらビジョンがないまま関係者の利害調整が行われ、豊洲新市場の設計も利便性の高い市場にすることを第一目的としてあるゆる努力がされるべきであったが、普通の箱物建築の仕事として設計されてしまったように見える。

 ビジョン設定(目的の明確化と共有)が不十分で各個人の所掌を超えた発想力が欠如していることは、新国立競技場が最初はデザインと建設を分離したため費用と期間の制約が守れなくなったことや、例の聖火台問題と共通である。

 

 バスケットボール関係者が、長年2リーグ分裂の調整ができず、国際バスケットボール連盟からの最後通牒を受ける事態となったのも、築地の迷走と同根である。川淵さんを招くことによりビジネスビジョンの設定と達成アイデアの提案というプロデュースで、ぎりぎりのタイミングで、わずか数カ月でリーグ統一とバスケ強化に進みだした。

 

 日本は傑出したリーダーが育ちにくい社会であるが、これまでは組織の中のキーマン何人かがビジョンを共有して補いあうことで組織としてプロデュース力を発揮することが結構あった。組織の中の一部署の個人でいても組織全体のビジョンを日々考え、他部署との共栄の具体策を捻出する力があったということである。

 現在は、この力が薄れて、個人は個人の範囲で組織を渡り泳ぐだけになり、損なことは避けるというキーマンが増加しているようだ。こうして、日本の組織のプロデュース力は弱体化して、結局日本人が自分で自分を痛めることになっている構図がうかがえる。

 築地移転騒動に観客席は無い。迷走の本質をよく見て、自分の糧とすべきである。

消費税増税再延期の数字的不可解

 2017年に予定されていた消費税の8%から10%への増税が再度延期された。増税で消費者が買い控え景気が落ち込む懸念が一つの理由だが、本当にそうなのだろうか?

 そこで、これまでの消費税の増税インパクトを数字で表現してみた。

 消費税額のup率で、過去3回の増税と比較すると、下記のようになる。
1989年 0から3%       無限大
1997年 3%から5%    67%up
2014年 5%から8%    60%up
2017年 8%から10%  25%up  延期!!

 次に消費税込みの価格の試算を比較してみる。その時点で230円だったものが、その時の消費税upでいくらになったかという前提で試算。(少数第二位から四捨五入)
1989年 0から3%        230円-> 237円
1997年 3%から5%     230円-> 235円
2014年 5%から8%     230円-> 237円
2017年 8%から10%   230円-> 234円  延期!!


 消費税のup率では、8%から10%のupは、過去に比較すると大幅に軽微である。
また、増税後の価格試算でも、5%から8%の時に比べると、相当に緩い印象である。
しかも多くの人が今回の増税を織り込んでいた。

   従って、予定どおり8%から10%に増税したとき、買控える行動をとる消費者は、これまでの増税よりもかなり少ないだろうと推察できる。今回の消費税増税は再延期すべきではなかった。

   今回の増税延期は、幻影に怯えた不可解な決定であると歴史的に評価される可能性があり、残念なことである。比較的公平な租税である消費税の優位性を協調した選挙戦でも今回は十分戦えたのではないだろうか。

 

舛添さんが見せてくれたこと

6月15日に、舛添要一都知事の21日付け辞職が決まった。
当然だという気分が支配的だが、本当にそうなのかを含めて、舛添さんの騒ぎが見せてくれたことを整理したい。

1 舛添さんの資質から
(1)話したり書いたりの公的な論理世界と自分の実際の行動世界をそれぞれ独立して持つことができる人で、今回世論誘導に失敗して辞職となるまで、それが表に出なかった。
(2)ルール上OKであれば公私混同や倫理逸脱も問題にならないという徹底した考えを持つ人であった。

 こう書いてみると、両方とも我々にもある資質だとわかる。前者は、建前と本音とか、芸名やデジタル人格と本人とかである。後者は、接待費の有効利用や最近ではタックスヘイブンとかである。

 舛添さんは、これらについてブレなく徹底して実践していた所がユニークであっただけのことだ。


2 辞任になった経緯から
 考えられない酷い人であると世論がつるし上げに走ったので、火の粉がかかるのを恐れた都議会や国政政党が辞任を引き出して、騒ぎの拡大を収めたのが、経緯に見える。人格的に不誠実だから知事失格という意見はあっていいが、それが主たる理由に辞職を迫るというのでは、民主主義国家の手続きとしてはおよそ不可解である。

 都議会および背景の国政政党が私利党利優先の対応に終始して、議会や政党として為すべき筋を充分通していないのではないか。また筋を通さないことへの世論の批判も決して強力ではない。


3 今後考えるべきこと
 1,2から我々の社会が大変弱体であることがわかる。下記を今後考えるべき。真剣に議論されたことはあまりなく、自分も今回のことで認識をあらたにした。
(1)当然果たすべき義務を実践した方が、個人の利益上も有利になるような仕組みをもっと考案する。
(2)世論誘導にたけていればもう済んでいただろうことを考えると、今の民主主義社会には不完全さがある。不幸な独裁者が出ないようにする知恵がいる。
(3)衆愚社会にならない方法を考える。個人レベルがあがれば、議員のレベルがあがり、全体のレベルもあがる。

 例えば、地方議員、地方自治体首長の為すべき仕事の明文化と一般社会への周知は(1)(2)の議論をすると、role(役割)の明確化と周知および評価として出てくるはず。
日本の組織は、roleの曖昧化と責任分散の結果の評価不能による自己弱体化のサイクルを脱却しないと、五輪スタジアム迷走に見られるように、本来できることもできなくなる。